『ノマド生活』に興味をお持ちくださいましてありがとうございます。
『ノマド生活』は、仕事を与えられることはありません。自分で仕事を見つけ出したり、生み出したりすることが基本となります。
そんな『ノマド生活』で、気を付けなければいけない「意識」があります。
突然で恐縮ですが…
- 頑張れ!
- 頑張りましょう!
という言葉が、私自身を苦しめていた時期がありました。
そもそも、人生って頑張らなければいけないものなのかと考えてしまいます。
そこからの脱出という気持ちもあってか、私は、『ノマド生活』に進んできているのだと思います。
「頑張る」のゴールはどこに?
意識しようがしまいが、何事もなく一日が終えれるのは、頑張った結果だと思います。
その日の何かしらの目標が無くても、無事終える一日は頑張った結果です。
目標を設定したけれど、早々に達成してしまった日は、頑張らなかったのでしょうか?
何事もなく終える一日に加え、何かしらの目標も達成できたのだから、超頑張ったはずなのですが、簡単に目標を達成したというイージー感から、今日は頑張っていないと感じてしまいます。
このことから、頑張りの尺度を「こころ」の充実感に求めてはいけないと分かります。
もし、頑張りの尺度を「こころ」の充実感に求めてしまうと、本当に頑張れたのか?もう少し頑張れたのではないかという気持ちがわずかでも「こころ」にある限り、100%の充実感を得ることができなくなってしまいます。
これは、特に完璧主義の人が陥る罠です。
そういう人は、出来なくても良いと思うクセをつけることです。
人間ですから、昨日はできたのに今日は出来ないことがあります。逆に、昨日はできなかったことなのに、今日は少しだけ出来ることもあります。
頑張ってもできない、頑張らなかったのに出来たということがあるのです。
頑張ったかどうかを「こころ」の充実感に求めるのではなく、「こころ」が、楽しい一日、好きなことだけをする一日を過ごせたと感じたかどうかを考えることの方が重要なのです。
自分の頑張り度は、全く関係がありません。
「こころ」が楽しんだかどうかなのです。
頑張りのゴールを「こころ」の充実感や数値の達成に求めるのではなく、自分の好きなこと、楽しいことだけをして過ごせたかどうかを基準にしましょう。好きなことや楽しいことは、頑張るという意識から離れます。最終的には、頑張らない、頑張らなくても良いという考えになることが望ましいと思います。
最初は難しいと思います。
まずは、とにかく一日を楽しむ、好きなことだけをするために頑張るという意識から始めると良いと思います。
頑張った先には何があるのでしょう?
頑張った先にあるのは「出世」「名誉」「お金」でしょうか?
確かに、頑張った先にらえる分かりやすいものは、「出世」「名誉」「お金」だと思います。
けれども、出世し名誉をもらい、年収もアップした時から「その次への頑張り」がスタートするのではないでしょうか?
頑張っても頑張っても、同じことが繰り返される。
そして、気が付けば40代も半ば…
自分の中身を見つめ直したときに「不安」が襲ってきます。
『こんな人生で良いのか?』と。
私は、それで良いわけがないと思っています。
頑張って、頑張って…
そうやって過ごしてきた年月が、自分の好きなことをやってきたのならまだ良いほうです。けれども、大抵は、生活のためにしてきたことである場合が多いと思います。
嫌なことは嫌と言い、やりたくないことはやらず、好きなことを好きなだけ楽しんで生活をしなければ、何のために生まれてきたのでしょう?
まず自分が人生を楽しめなければ、周りを幸せにすることなどできないと思います。
頑張らないを頑張る
頑張るという言葉を極力使いたくないので、本当はそんな概念を捨ててくださいと言いたいのですが、いきなり、頑張らなくても良いと言われても戸惑う人も多いと思います。
だから、あえて言うのなら「頑張らないように頑張れ!」と言いたいのです。
普段から「頑張らない、がんばらない!」と口癖のように自分に言い聞かせます。
あともう少し頑張れば仕事が終わるというときでも、その前に退社時間がきてしまったら切り上げます。もちろん、退社時間が迫るなか、必要以上に仕事のペースを上げたりはしません。
最近は、コロナのせいで自宅でのリモートワークも増えました。
自宅にいると退社という区切りがつきにくいのですが、時間がきたらやめるという習慣を徹底すべきだと思います。
会社は、そういうあなたの頑張りをほんの少しの報酬アップ、もしくは、報酬すらなく、上司のねぎらいの言葉だけで、あなたのモチベーションをアップさせようとします。
そして、日々消耗し、あなたが潰れると… すぐに代用を用意します。
そんなものです。
だから、会社のために!なんていう気持ちで頑張ることは必要ないのです。
それよりも、早く仕事を切り上げて、自分の使える時間を増やすことのほうが大切なのです。
頑張ってと頑張りましょう
「頑張って!」と「頑張りましょう!」、どちらも嫌いな言葉です。
けれども、格段に「頑張って!」のほうが嫌いです。
私には、どうも上から目線な言葉に聞こえてしまうのです…「頑張って!」…が。
「頑張りましょう!」は、お互い立場や環境が違うけれど、それぞれの立場で…というニュアンスがあるので、対等な感じがします。
繰り返しになりますが、人間、何のトピックもない一日でもかなり頑張っているのです。
最近の言葉でいうなら、人間だれしもデフォルトの状態がすでに「頑張っている」という状態なのです。
そういう状態で他人から「頑張れ!」なんて言われると「大きなお世話だ!」と心の中で思ってしまいます。
このことを奥さんに伝えたら、そんなに深い意味で「頑張って!」という言葉を使ってはいない… 社交辞令的な、軽い気持ちで、今日も楽しく過ごしましょうね!というニュアンスで「今日も頑張って!」という言葉を使っているというのです。
それなら、それは正しい日本語を使っていないということになります。
『今日も楽しく過ごしましょうね!』という気持ちなら、そう言えばいいのです。
なぜなら、みんながみんな「今日も頑張って!」が「今日も楽しく過ごしましょうね!」と解釈できるわけではないからです。
「頑張る」という言葉を気安く使うと、他人や自分を追い込んでしまいます。
頑張れって言うけれど… 私はもっと頑張らなければいけないのか…? という具合です。
もう一人の自分と闘っても絶対に勝てない
現実の生活のなかで、ああすればよかったかな? といったことが良くあります。
前述の通り、とても頑張った一日を終えても、もっと頑張れたのではないかと「こころ」の充実感を求めてその一日を振り返ると、あそこでもっと踏ん張れた!あそこで気が付けた!などと反省点が見つかります。
反省点を出すのは、もう一人の自分… そなわち「こころ」だったり「頭のなかの自分」ですが、こいつと闘っても絶対に勝てません。
もう一人の自分は、全てにおいて「後出し」じゃんけんを仕掛けてくるからです。
その反省点をすべてプラスととらえられれば良いですが、頑張っても、頑張っても、もっと頑張れたはずだと、もう一人の自分が追い込みをかけてくるようなら、そいつのことは無視しましょう。
キリがありません。
自分の「こころ」がいろいろ挑戦状をたたきつけてきても、あそこで踏ん張れないのが自分らしいんだよなぁ… うん、自分らしい! と、笑いながら一蹴してやれば良いのです。
頑張らずにどうやって生活をするのか?
一日の中で惰性で過ごしている時間と選択に迫られる時間があります。
選択に迫られるときだけ、次のことを意識するようにします。
- 自分が楽しいと思うのはどっちか?
- どちらかと言えば自分が好きなのはどっちか?
このどちらかを選ぶようにします。
どちらにも入らない場合は、その選択そのものをやめます。
どちらも楽しくないのですから、楽しくないことはしません。
こういう考え方は、実に『ノマド』的だと私は思います。
どちらも選ばないことが、どちらかを選ぶことより、少しだけ楽しいのであれば、それで良いのです。
とにかく、自分の「こころ」が楽しい、好きだな… と感じる選択をして生活をすれば良いのです。
普通の一日を分析してみる
サラリーマンをされている方の普通の日の場合、朝起きて会社に行き、仕事をして帰宅するのが、おおむねの日課となります。
特に頑張るようなこともせず、普通の一日だったと思うような日でも、実は、ものすごい成功の積み重ねで「何気ない一日」が作られています。
- 起床できた
- 朝食を取ることができた
- いつもの電車に間に合った
- トラブルもなく仕事をこなすことができた
- 人間関係にひずみを生むことなく一日を過ごせた
- 一日健康を害さなかった
大きな塊で一日を見ただけですが、これだけの成功があって一日が成り立っています。
その他にも…
- 困っている人に道を教えた
- 電車で席をゆずった
- 並んでいる順番を代わってあげた
- 道に落ちているゴミを拾った
こんなことをした日もあると思います。
何気なく、当たり前にやれてしまっていることなので、あえて「成功」という感覚はないと思います。これだけの多くの「成功」を積み重ねているのに、「今日も時間通りの電車に乗れて凄いぞ!」と自分を褒めたりしません。
その代わり、電車に乗り遅れ、会社に遅刻したことを猛省し、自分はだらしがないと責めます。多くの成功をひとつも褒めもせず、たった1つや2つの失敗を責めます。
普段から自分を褒めているのなら、失敗についても同等に自分を叱責すれば良いと思いますが、自分を褒めもせず叱責するのでは、自分がかわいそう過ぎませんか?
当たり前のようにできてしまう「成功」は、言い換えればプロのなせる業の域です。
そこまで自分を磨き上げた結果、朝、いつも通り起きれるのです。
そのことを褒めてあげたことはありますか?
他人が一人も褒めてくれなくても、たった一人褒めてくれる人がいるとすれば、それは自分自身です。たった1つの失敗を責めるのではなく、とても多くの成功を積み重ねた一日を褒めてあげる習慣を付けましょう。
サラリーマン生活をしていると気が付きにくいことも『ノマド生活』では気が付くことができます。そして、そうした感性が人生を豊かにしてくれます。
頑張ったという充実感が無くても、実に多くのことをそつなくこなしている自分に気が付けば、それは頑張っていること以外の何ものでもないという実感と、上から目線の「頑張って!」と言われたときの怒りを理解することができます。
『ノマド生活』は生きるステージが違う
私の『ノマド生活』は「お金」「出世」といった意識からは遠い生活です。
「お金」は欲しいのですが、自分のやりたくないこと楽しくないことをせず、誰かにこびたり、会社の言いなりにならないということが最優先事項にあります。
「仕事」に関する人間関係や仕事量といったことからのストレスが無いのが、私の『ノマド生活』です。
それもこれも「頑張ります!」とか「頑張って、この仕事を仕上げます!」という姿勢で仕事を引き受けることがないので、そういう生活ができています。
そういうスタイルで仕事をすると、最初は、「何だこいつ!?」という印象を周りに与えます。けれども、そのうち「あいつはああいうやつ、うらやましいな。」に変わってきます。誰でも、本当はそういう風に生きてみたいのだと思います。
必要以上のお金を追い求めなければ、私のような『ノマド生活』は実現可能です。
ネット上では、数百万円を一か月に稼ぐノマドワーカーがいます。
けれども、その生活のなかに自分を褒めるという要素が無い場合、もっと!もっと!と自分を追い込んでしまい、そのノマドワーカーは自滅すると思います。
もっとお金が欲しい!
そうなったとき… もっとああしなきゃ、こうしなきゃ… どうしてできないのか?
会社を作れば良いのか? 人を雇えばいいのか? …そんな風になっていき、一番大事な精神的な『ノマド生活』を忘れてしまいます。
サラリーマン生活が嫌で始めた『ノマド生活』なのに、お金を求めるあまり、自分から企業に組み込まれていくのです。
一人で数百万円!稼ぎ方が重要
いろいろ調べると、現在、ノマドワーカーと名乗る人たちの多くはアフリエイトサイトの運営での収入がメインのようです。
自分の作ったサイトにどれだけ多くのアクセスを集めるのかを常に考え、サイトを修正したり、新規で作成したりと、それだけで一日が終わっていきます。
どこにいても出来る自由に見える仕事かもしれないけれど、売り上げが落ちたらどうしようかと「不安」を抱えたままの生活に変わりはありません。一人で好きなことをしているようだけれど、その「不安」は、会社を首になったらどうしようという「不安」と同じです。
その「不安」はどこから来るのかというと、結局、人のふんどしで相撲を取っていることから来ているのです。
一番強い『ノマド生活』は、待ってでも欲しいと言われるものを作り、それを販売することで収入を得ることです。その傍らにアフリエイトサイトの運営があるのであれば問題は無いのですが、アフリエイトサイトの収入を増やすことだけが目標となった『ノマド生活』は危険だと思います。
自分の好きなこと、楽しいことだけを追い求め、それでも生活が成り立つというのが、本当の『ノマド生活』だと、私は思います。
芸術家のような生活が、私の『ノマド生活』の最終目標です。
生み出す作品に値段が付く。機械で作るのではないので生産性が悪い。だからこそ価値が上がる。価値が上がるので、作った作品を一つ売れば1か月以上生活ができる。それが、本当の『ノマド生活』だと、私は思います。
羨ましいと思ったら始めてみる
自由な時間に好きなように暮らす中で生まれる作品、その作品が収入につながり、生活ができるという『ノマド生活』を羨ましいと思ったら、やってみることをお勧めします。
自分の得意なことがわからない… という人もいると思います。
そんな時は、自分が他人に苛立ちを覚えてしまうことを列挙してみましょう。
なぜなら、他人に苛立ちを覚えるということは、自分ではとてもうまくできるのに、どうしてそんなことも出来ないのか? という意識から来ているからです。
つまり、自分では当たり前のことのように簡単にできてしまうことだからこそ、そんな簡単なことも出来ない他人に苛立つのです。実は、その簡単にできてしまうことこそが、あなたの得意なことなのです。
まず、その自分の得意なことを絡めた『ノマド生活』を始めていきましょう。
好きなこと、楽しいことしかしないというポリシーのもと、自分の得意なことにどっぷりとハマれる生活の基盤を少しずつ作り始めることが重要です。
取り掛かりとして、自分の使える時間を増やすことから始めると良いと思います。
会社での不必要な付き合いなどを削り、少しずつ自分の時間を増やしていきましょう。
まとめ
長々と書いてきましたが、「頑張る」とロクなことがないということです。
頑張ろうとすることで、自分自身を追い込んだり、何のために生きているのかわからなくなったりします。
誰にでも「お金」という「生活」と直結した「不安」があります。
けれども、今の環境をすぐに変えられないとしても、少しずつシフトしていきましょう。
いろいろな収入方法があるので、それを少しずつ試すのも良いと思います。
肝心なのは「お金」ではなく、内容の詰まった楽しい人生を過ごすことです。
平等に与えられた時間を不愉快な思いで埋めるのも、楽しい思いで埋めるのも、自分次第です。
いつかやろうではなく、今から少しずつ始めることで、ある時、突然、そういう理想の環境を手に入れていることに気が付きます。
「嫌なことはしない」ということを大人げないと卑下する人もいますが、嫌なことをすることが大人なのでしょうか?
そのように卑下する人は、会社に依存しまくって生きてきた人です。会社優先の人生です。
そういう人が、よく言うセリフですので、気にしないことです。
そんな人の意見には耳を貸さず、自分の人生を楽しい時間で埋め尽くしましょう!