思うこと

私なりにサラリーマンを分析するとこうなりました。

当サイトを訪れている方は、男性の方が多いと思います。
あと数年先に40代という新しいステージが見えてきて、このままサラリーマンを続けるのか、独立するのか、田舎に帰るのか、とどまるのか、結婚するのか…
とにかく多くの決断ごとが見え隠れしているのではないでしょうか。

私の場合、37歳くらいの時、外資系の会社でサラリーマンをしていました。
恐らく、外資系の会社を辞めるのが37歳だったと思います。

その外資系会社に入社する前は一度目の独立がうまくいかず、アルバイトで食いつないでいました。

サラリーマンに向いているとかいないとかは、性格的な部分が大きく左右しますが、そうしたことを排除して、サラリーマンという生き方を冷静に分析してみたいと思います。

サラリーマンのメリット

毎月、給料がもらえる。何よりもこれがメリットだと思います。

保険にも給料天引きで自動的に加入しているので、手厚い補償と老後への心配もせずにすみます。退職金のある会社であれば、老後はさらに安泰です。

個人では到底チャレンジできないような大きな仕事をすることができます。

人脈が広がり、その人脈からさらに新しい会社へとステップアップをすることができます。

サラリーマンのデメリット

解雇通知をもらったらお終いです。

どんなに働きたいと訴えても、会社が必要ないと判断すれば、否応なしに収入が絶たれてしまいます。

会社の都合で転属転勤を命じられ、住む場所でさえ会社に干渉されてしまいます。

仕事に対して好きとか嫌いは関係なく、与えられた仕事はやらなければなりません。

メリットとデメリットから見えるもの

性格的にサラリーマンが性(しょう)に合っているとしても、その仕事が大好きだとしても、会社が傾いたり、会社が必要のない人物とみなせば、その会社に勤めることはできません。

私もそうでしたが、その会社の仕事全てが好きという人はあまりいないと思います。
好きな仕事もあれば、嫌いな仕事もあるというのが普通ではないでしょうか。

嫌いな仕事が続くときもあります。
そんな時は、愚痴をこぼし、ぼやきたくもなりますが、『嫌なら、会社を辞めてもらっても大丈夫だよ。』と言われるのが怖くて、歯を食いしばり頑張ります。

実は、この頑張りの裏には『クビにされたら給料が入らない。給料が無ければ生活ができない。』という思考があります。

そのストレスと自分の将来像を冷静に見つめ直し、人生どのように生きるべきか悩むのが36歳くらいではないかと思います。

人生を楽しく生きるという部分だけにフォーカスするのなら、私は、『サラリーマンなんて常にビクビクしながら、クビにならないように給料をもらうだけのものだ!』とハッキリ断言します。

頑張りましょう!という言葉が嫌い

会社に行くと「今週も頑張りましょう!」とか「今日は頑張ったね!」といった会話を多く耳にします。最近では、朝の情報番組の天気予報でも「今日も一日頑張ってください!」なんて言っています。

これは、まぎれもなく嫌な仕事があるということだと思うのです。
だからこそ、「がんばりましょう!」なのです。

私は、「ノマド生活」を送り始めて、嫌な仕事や作業もたくさんありますが、そうした仕事や作業に対して「頑張ろう!」なんて思ったことはありません。

このことは、サラリーマン時代から大きく変わった気持ちの変化です。

頑張らなくてもいい

サラリーマンの時は、頑張らないと「減給」や「転勤」「解雇」といった給料に直結するペナルティーが常に背中合わせでしたが、自分で仕事を見つけてお金に変えていく「ノマド生活」には、嫌ならやらないという選択しかありません

人の会社の規則に縛られ働くことをやめたのに、わざわざ、自分自身を縛り付ける理由がありません。嫌ならやらない、その代わり、他のことを考える…だからストレスがありません。

ノマド生活は人生が楽しい時間で満たされる

私は、人生は時間だと考えています。
人それぞれ、長い、短いはあるけれど、人生の時間の塊を寿命と呼んでいます。

私の場合、既に少し遅いのかもしれませんが、サラリーマン生活をしてきたせいで、自分の時間をどうでもよい事に使い過ぎました。

満員電車、愚痴を言い合うための飲み会、意味のない残業…

もし、今もサラリーマンを続けていたら、人生の大半を面白くない時間で埋め尽くしていたところです。24時間のうち8時間は睡眠とすると16時間が活動時間です。
その16時間のうち会社が8時間、付き合いで飲みに行けば3時間が消費されます。
正味5時間…テレビを見たり、風呂に入ったりすれば、お終いです。

これで、人生、何が楽しいのか?

「ノマド生活」において、私は、決めています。

どちらかというと楽しい方を選ぶ

毎日、多くの選択肢があります。
あれをやらなくてはいけない、これもやらなくてはいけない… と優先順位は付いているものの、どうも気分が乗らずに手が付けられない。

そんなことばかりですが、そんな時は「楽しい方を選ぶ」ようにしています。

つまり、頑張ってやり切ろうとはせず、どちらかというと楽しそうな方を選んで、仕事でも作業でもするようにしています。こういう気分で時間を使えば、結果的に寝ること以外の時間は、すべて楽しいことをして過ごしたことになります。

楽しいことに多くの時間を割いて暮らした人生は、きっと死ぬときに後悔は残るかもしれませんが、サラリーマンで終える人生よりも、何百倍も楽しい人生だったと実感して死ねるのではないでしょうか。

生きるステージ

たぶん、これをお読みになっている人には響かない言葉かもしれませんが『私は、既に違うステージで生きている』のです。

目先の収入、お隣との比較、物欲… それらはないわけではありませんが、それらを増やそうとか、誰かより多くもらおうとか、そのためには何をしようかなどと考えることはやめたのです。

その思考回路は、まだ生きていて、油断するとすぐにスイッチが入ってしまいます。
けれども、大抵そんなことを考えていると性格がささくれ立ち、周りにも波風が立ち、イラつく生活に一変してしまいます。

そういう時は「自分はこのステージでは生きない」と言い聞かせるようにしています。

楽しいことばかりで満たされた人生を送るために「ノマド生活」を選んだということを思い返し、次の楽しいこと、次の好きなことをいつも考えています。

失敗の責任

「『ノマド生活』を勧めているけれど、失敗したらどうするの?」

そんな質問をいただいたことはありませんが、もし、そんな質問をいただいたら、こう答えると思います。

「大丈夫、何とかなるから。」

私の半世紀の人生を振り返ると、40代後半にもなってジーンズのポケットに200円しか入っていない生活が1か月以上続いたときがあります。
社会的な信用がなく、クレジットカードが作れない時期もありました。

けれども、何とかなりました。
厳密に言えば、そんな時は脳みそがフル回転をしてくれ、何とかなるように体を動かしてくれます。何とかなるというより、何とかしてしまうのです。

だから、大丈夫。
それよりも、自分の気持ちにフタをして、どこか諦めたように生活をしてしまう方が良くないと、私は、思います。

一気にシフトチェンジしなくても、少しずつ、自分のできる範囲のことを肩ひじ張らずに、自分のペースで、嫌な時は止めてもいいんだというくらいのスタンスで「ノマド生活」に少しだけ触れることをお勧めします。