思うこと

好きなことで暮らすノマド生活のための一歩を踏み出すなら今がチャンス

何かやらなければという考えだけで時間が過ぎていく

私もサラリーマン生活を続けているときは、せっかくの休日なのにうだうだと過ごしてしまい、”今後のために何かをしなければ”と思いつつも、何もせず週末が終わっていきました。

サラリーマンという会社に雇われた生活から早く抜け出そうと、頭の中では焦るのですが、行動にはつながりませんでした。そうやって何十年も過ごしてきました。

時が経過すればするほど、何かしなければまずい!という焦りは強くなっていきました。
それと同時に、今まで何もしなかった時間の蓄積に、もっと早く始めておけばよかった… という後悔が、ズッシリと心に重くのしかかってきました。

一歩踏み出すキッカケは「病気」

もし、この記事をお読みくださっているあなたが30代後半であれば、すぐに行動に移してください。少しだけでも構いませんので、何かを始めてください。

サラリーマンという「お金(給料)」を人質にとられ、それが無ければ生活ができず、新しい何かを始めることも出来なくなってしまう前に、何かを始めてください。

私の場合、50歳になって、ようやく本格的に活動を開始しました。
どうして、やっとのこと重い腰をあげられたかというと、「病気」になってしまったことにキッカケがありました。

  • 人生これで良いのかという「焦り」
  • 仕事を辞めれば再就職なんてできるかわからないという「不安」
  • 自分の好きなことで家族を養えないかもしれないという「不安」

このようなストレスが重なり、仕事や生活に追われるなか、ある日、すい臓に影が見つかりました。

紹介状を書いてもらい、大きな病院に行き検査をしてもらいました。
結果的に癌ではなかったのですが、元来、心配症の私は、本当に本当に大丈夫なのかと先生に詰め寄りました。

すると先生に、『あなたのそういうところの方が心配です、診療科を紹介しましょうか?』
と、このように言われたとき、考えすぎ、心配症の私は、遂に烙印が押されたような感覚になりました。

私は、「鬱」という精神的な病気は、「精神的な甘え」が原因だと思っていました。
鬱病というのは、贅沢病だと考え、そういう人たちを小ばかにすることもありました。

そんな病気を示唆するような先生の言葉に、私は、ショックを受けました。
『まさか、そんなことを言われるとは?!あんなに馬鹿にしていた病気に自分がかかっているかもしれないなんて!?』

今まで、玄関のカギやガスの元栓といった戸締り、旅行の際のトイレの心配など、人より心配し過ぎる傾向を持ち合わせていましたが、あの日、先生に言われた日を境に、私は、完全な鬱病になりました。

電車に乗ればパニック症が起き、食事をしても味がせず、真夏でも寒い寒いと扇風機も付けない… 一度だけですが、もう生きていたくない(死にたい)とすら考えてしまったことがありました。

そこから復活した時、とにかくやるんだ!
うまくいこうが失敗しようが関係ない!やりたいことをやる!

けれども、やりたいことは何も見つかりませんでした。
それでも、動き出すキッカケにはなりました。

やりたいことを見つけるための方法

鬱病を抜け出す際に大いに役立ったのは、これをやろうと思ったらとにかく「紙」や「ノート」に書き、やり終えたら棒線を引いて消し込むことでした。
自分を追い込むことはせず、出来なくてもいい、いつかやれば… そんな風にして、些細なこともすべてノートに書くようにしました。※写真は当時のものです。

〇月〇日

  • ○○さんに電話する
  • 帰ったら机の上を片付ける
  • 1ページでも本を読む
  • 腕立て伏せをする
  • お風呂掃除
  • ○○にお散歩&散策
  • ○○さんにお礼のメールをする
  • 銀行でお金をおろす
  • 銀行で○○代金を振り込む

こんな風に、思いつくままノートにビッシリと書き出しました。思いついたことはすぐに書き出していましたので、ノートはあっという間にやることだらけとなりました。
そして、やり終えたことは棒線で消し込みました。

私は、棒線が増えると嬉しくなりました。

とにかく、やることをたくさん書くことで、頭の中で「鬱」特有の考え癖を発動させないようにしました。

考えても頭の中では結論は出ません。
仮に結論が出ても、所詮、頭の中の結論ですので、現実は何も変わることはありません。
現実を変えたいから考えるのですが、考えても行動に移さなければ、現実は変わりません。

現実を変えるつもりで考えても、それを行動に移さなければ、考えた時間は無駄になります。長々と考えても、行動しないのならすべては無駄!
…そんな風に自分に言い聞かせ、行動こそが大切!時間を有意義に使え!と、とにかくノートに書き出し、棒線を引く生活を続けていました。

私の場合、ノートに書き行動するということが「私のやりたいこと」を見つけてくれました。まさに、これが、やりたいことを見つけるための方法だと、私は、思います。

具体的な書き出しと行動

まず、自分は、何が好きなのかを書き出しました。
書き出したことをネットで探し、第一人者がいればメールをしました。

もちろん、ノートには…

  • ○○についてネットで探す
  • 第一人者の○○さんにメールする(SNSのアカウントがないか探す)

といったように、やることをノートに書き出し、やり終えたら棒線を引いていました。

自分な好きなことに対して足りない情報は、遠慮せず外部に聞くようにしました。
それが初対面であろうとなかろうと、欲しい情報はネットサイトだけでなく、運営者といった個人に質問をするというところまで踏み込んでいきました。

そうしているうちに、私の知りたい情報を持っている方と会えるチャンスが巡ってきました。私自身、直接会わなくてもいいのではないかと躊躇する部分もありましたが、やはり、会って良かったと今では思えます。

そうやって、人に会う約束をすることで、会いに行くという行動がノートに書き加えられました。実際にお会いすれば、その人に教えていただいたことに対して、自分がやるべきことが生まれました。
そして、そうしたことをノートに書き加えました。

好きなことを見つける過程で遭遇する葛藤

そうやって好きなことを掘り下げていくうちに、実は、そのことがあまり好きではないと気が付くものがります。そういうものは、そこで掘り下げることをストップすると決めていました。

そのことで、周りが私に対して「三日坊主」だの「八方美人」だのという視線を投げかけてきても、私は、そんな自分を許すということにしました。

今までそういう時は、『私って駄目だな、長続きしないな…』と、自分を責めていました。
けれども、最後の最後まで自分の味方でいられるのは自分自身です。
その自分が自分を責めてはいけないと思ったのです。

  • 長続きしないんだから仕方がないじゃないか。それも個性。
  • 三日坊主や八方美人と見下すヤツらは、私以上にいろいろな経験ができているのだろうか?次から次へと興味が湧いてしまう性格のお陰で、私の経験や知識は、そういう人よりも浅くではあるけれど、とても広いのではないか?
  • 私は、専門家のように物事を掘り下げるタイプではない。
    きっと、私を見下す人たちは、私のように広く浅くできなくて、そんな風にできる私が羨ましいんだ!
  • 職種が60種を超えるくらい経験すれば、八方美人も筋金入りじゃないか!

こんな風に自分と周りを俯瞰で見つめなおし、物事に飽きてしまっても、私は自分を責めないと決めたのです。

まとめ

このようにして、私の好きなことを掘り下げていくうちに「作品作り」が私には合っていると思い始めるようになりました。

三度の飯より「作品作り」が好きかといえばそうではないのですが、サラリーマンの仕事より、好きだし楽しいです。機嫌が悪くても、作品を作り始めると良くなります。

そういう作品をヤフオクに出品すれば、購入してくださる人も出てきました。

私は、たまたま病気がトリガーとなって、自分の好きなことを見つけることができましたが、出来れば病気にならずに好きなこと、楽しいことを見つけて欲しいと思います。

まず、ノートを購入する。
それだけでも、昨日より前に進むことになります。
そして、その一歩は、とてつもなく大きい一歩になると思います。

 

この記事が、少しだけあなたの悩みの解決になれば嬉しいです。