好きなことを好きな時間に好きなだけできる『ノマド生活』では、頑張るということはしません。なぜなら、好きなことというのは、頑張ろうと思えばとことん頑張れてしまうからです。
そうやって頑張っているうちに、『何でできないんだろう?』とか、『今日やるべきことをやることができなかった…』と、自己嫌悪に落ち込んでしまうからです。
例えば私のある一日
例えば、以下は数日前の私の予定です…。
- 作品を25個仕上げてすべてをメルカリに出品する
- 読書をする
- ブログ記事を2つ書く
こんなことを起きがけに考えました。
そして、WEBのお手伝い(仕事)をして帰ってきてから、これだけのことをその日の午後だけでやろうと考えていました。
以下は、実際に行動したことです。
14:00に帰宅。
パソコンに向かいブログを書きはじめました。
頭の中に原稿はあったのでカタカタとタイプし続け、気が付けば400時詰め原稿用紙で5枚以上(2000文字以上)の記事を2つ書きあげていました。
それらの記事は、公開するまでに何度も読み返します。
誤字がないか、伝わりにくいところがないかを見直して読みやすくします。
ずっと文字と向き合っていると疲れるし集中力が続きませんので、休憩のため、気分転換のためにメルカリ出品用の作品を作りはじめます。
作品づくりはペンキが乾く、接着剤が乾くという「乾く」ための待ち時間がどうしてもあります。乾くのを待つ間、ブログ記事を読み返し、修正などを加えます。
そういう繰り返しで、作品とブログ記事を完成させていきましたが、作品は10個までしか作れませんでした。そして、その10個はメルカリに出品しましたが、気が付けば深夜1:00でした。
なぜか挫折感が襲ってくる
深夜1:00まで好きなことだけやりました。とても充実感がありました。
好きなことをやっているので「苦労」を感じることはありませんが、目標に対して達成することができなかったという「挫折感」が残りました。
さんざん好きなことができた一日なのに、挫折感が残るのは、何かおかしいですよね?
こんな一日を経験した私は気が付きました。
夢中になると目標が生まれ、遂行のための計画設定をしてしまう。
夢中になると、どうしても目標設定が生まれてしまいます。
そして、計画通りにいかないと、計画が遂行できなかったという「挫折感」を味わってしまうのです。
このことから私は、こう考えるようにしました。
目標を立てることは素晴らしいことだけど、目標が達成できなくても『自分の頑張りが足りなかった。』とは思わない。
出来なかったことは出来なかったで良いんです。頑張ったって、ロクなことがないのです。そのくらいの気持ちでいることがちょうど良いのです。
「責任」と「仕事」と「お給料」のサラリーマン生活を頑張ってきて、ようやくそこから抜け出したにもかかわらず、自ら目標を設定して、再び目標とチャレンジの世界に飛び込んでいく必要はないのです。
頑張るという言葉が嫌い
お友達同士の会話の中、会社の朝礼などでよく言われる言葉「今日も1日頑張りましょう!…」これは私が嫌いな言葉です。
最近ではテレビのキャスターもよく口にしています。
それは、人は頑張ろうと意識しなくても頑張っているのです。
毎日、毎日、同じ時間に起き、満員電車に乗り、時間通りに会社に行くことは、「慣れ」てしまっているからこそ気が付かないだけで、体には大きなストレスがかかっているはずなのです。
こんな生活を何年も続けて、これ以上何を今日も一日頑張るのでしょうか?
たまには、『今日は一日手を抜きましょう!』と言っても良いくらいだと私は思います。
実際にはそんなことは言えませんから、私はいつも心の中で自分に言い聞かせます。
『頑張らなくていいんだよ。出来ないものは出来ない。それが私。』と。
そんな言い聞かせも『ノマド生活』には必要がなくなりました。
好きなこと・楽しいことをとことんして暮らす。そこには、自分へのプレッシャーが無いはずでした。けれども、好きなことをしていると勝手に目標が生まれてしまうということを経験しました。
自ら設定した目標だからこそ、出来ない自分を余計に許せなくなる。
そんな落とし穴に気が付いた私は、ますます『ノマド生活』を楽しめそうです。
まとめ
好きなことをとことん楽しむ。
楽しいことをしていると、ついつい時間を忘れて楽しんでしまいます。
そのうち自ら目標を立てたがります。
目標を立てたらその目標達成に向けて頑張ろうとしますが『やらなきゃ!』という気持ちがそこにあったら、もうそこには「楽しさ」はありません。
『やらなきゃ!』
そんな気持ちが出てきたら、少し前まで楽しかったこととからは距離を置き、また楽しめるようになったら戻ってくれば良いのです。目標は達成できなくて良いのです。
距離を置くとき、目標達成できないことからくる「挫折感」が漂っても、それは自分の頑張りが足りなかったのではありません。楽しく無いからやめるのです。ノマド生活は、目標達成のための生活ではなく、楽しさで人生という時間を埋める生活です。だから、楽しいか楽しくないかが判断基準… 目標を達成するかどうかではないのです。
そもそも、頑張りの世界から抜け出し、楽しいか楽しくないかを判断基準とする『ノマド生活』に入ったのですから、頑張ることを遠ざけて当然なのです。
頑張らない、できない、飽きっぽい‥‥。それが私なのだから。
それくらいがちょうど良いのです。