先にお伝えしておくと好きなことだけをして楽しく人生を送ることは出来ます。
私が、そんなノマド生活をしているので嘘ではありません。
けれども、そうなるためには考え方の入れ替えが必要です。
いろいろな入れ替えを行った結果、私は、そういう生活を手に入れることができました。
今はそのノマド生活を安定させることを目標としています。
そんな理想の生活を手に入れるためには、まず他人と競争することをやめなければいけません。他人との競争を意識しないようになるためには長い年月がかかります。
私の友達は、今でも他人との比較の中に生きています。
そんな友達の例を先にご紹介します。
そして、そのあとに私が今の生活を手に入れるまでに至ったプロセスをご紹介します。
そのプロセスは、全ての人に当てはまるわけではありませんが、きっと何かの参考になると思います。
自慢げにアドバイスをする友達
もう20年以上も昔の話です。
当時、30代の私は、上京してくる友達のスケジュールに合わせて、都内で飲み会をセッティングしました。
浪人していた時、寮生活を共にした男同士の飲み会でした。
<上京してきたメンバー>
- 国家公務員
- 大手デパートの外商部主任サラリーマン
- 会社の経営者
- 私
この4名で飲み会がスタートしました。
アドバイスという名の批判とマウンティング
懐かしい話が一通り終わり、それぞれの近況報告へと話が変わりました。
私は、会社経営で成功している友達の話を興味深く聞いていました。
私の知らない横文字がたくさん出てきて、理解しているのは主任サラリーマンだけでした。
そんなことも知らないのかとバカにされることを恐れず、私がいろいろ質問しているうちに、マーケティングの重要性についての話題になりました。
私もそれなりにお客様の気持ちを理解してネットショップを運営していましたが、より深い専門的なマーケティングの考え方に私は驚きました。
当時、私は個人事業主として独立をしていましたが、そんな私の幼稚な質問に主任サラリーマンと会社経営者の二人は、私にダメ出しをし始めました。
悔しい感情もありましたが、ここは勉強だ!と、いろいろなアドバイスを吸収しました。
時折、不快な批判もあったので言い返してみました。
けれども、それだから甘いんだ!と、やり返される始末でした。
きっと、私への応援もあり、厳しく言ってくれたのだと思います。
ただ…『マーケティングも知らないの!?とても重要だよ。』というあの表情と言い方は、思い出すだけでも不快になります。
翌日からマーケティングの勉強の日々
翌日から、マーケティングとは何なのか勉強をし始めました。
けれども、私の中では、マーケティングというものは、所詮、「水モノ」であり、信用に値しないという持論が心の奥にありました。
どんなにデータをかき集めても、その時のデータのように世の中は同じように回りません。
つまり、あの時はああいうことが重なってよく売れたという、過去のデータをいくら集めても、未来にはあまり有効ではないと考えていました。
今でもその考えは変わっていません。
当時、私は、データは「当てる」ためのものだと考えていたので、そういう考えになっていたのだと思います。データは、過去の統計から、失敗しない方向性を見出すために使うものだと分かったとき、やっとマーケティングの重要性を理解しました。
今まで、ほとんどマーケティング調査をしなかったので、失敗確率の高い選択をしていたのかもしれません。もっとデータを分析し活用していれば、失敗確率の低い選択を行えたかもしれません。そして、個人事業のテイクオフも早まったかもしれません。
当時の私は、ただただ、悔しい思いで飲み会の時間を過ごしていました。
自慢げだった友達の13年後
あれから20年以上が経ちます。
今から数年前、あの時の飲み会の経営者にSNSからメールをしてみました。
SNSでは、会社経営者ではなく、大手会社に就職となっていました。
自分の会社はどうしたのか?
その理由を知りたくて、SNSからメールをしました。
以下は当時のやり取りです。
私 「ひさしぶり!あのさ、久しぶりにプロフィール見たけれど、今、自営業じゃないの??お偉いさんになったのかな?」
彼 『自分でやってる人が一番偉いよ。お前はすごいと思う。』
私 「どうした?会社で、うまくいってないのかい?」
・・・
返事はなく、この会話はここで終わってしまいました。
多分、この彼(元会社経営者)には、私に対して「敗北感」があったのかもしれません。
私のメッセージは、とらえ方によっては彼への皮肉に聞こえます。だから、あんな返事になったのかもしれません。
けれども、皮肉ととらえたのであれば、きっとあの飲み会を思い出したのではないかと思います。あの時、会社経営者として私に対して上から目線でマーケティングの必要性を説いていたのに、今は雇われのサラリーマン…。
そんな時に私からあんなメールが来れば、彼にとっては、当時の彼自身のおごりとそれに対する今の彼への皮肉なメッセージとしてとらえられても仕方がないかもしれません。
だからこそ、当時のことを詫びるのではなく、私に対して「すごい」とか「偉い」という言葉を使って返事をしているのだと思います。
そのメッセージを読んで、私は、少しがっかりしたのを覚えています。
人と比較をしない生き方は「ものさし」を捨てること
さらに数年が経ち、今の私が言えることは…
「すごい人」「偉い人」「成功者」「勝者」といったことに憑りつかれている人には一生手に入れられないものがあるということです。
先ほどの彼は、常にそうした「ものさし」で仕事を見ています。
長く続けていれば偉いとか成功者だとかといった「ものさし」で人を評価します。
やり続けようが、続けまいが、ひとりだろうが、複数人だろうが…そんなものは関係ないのです。偉さとか成功とか…関係ないのです。
よく考えてみればわかると思いますが、楽しくて好きなものなら一人でも長く続くのです。
そういうものを人生で見つけないと、人生がつまらなくなってしまいます。
幸いにも私は、そういうもの…というか、楽しくて、好きで、ひとりでもずっと続けていけそうなものを見つけることができました。
その趣味は、お金も少しながら稼がせてくれます。
多くの人は、こういう人生を望んではいるけれど、見つけられずに苦しんでいると思います。
私もやっと見つけました。
私の友達は、きっとまだ「ものさし」を捨てられずに頑張り続けていると思います。
私のことを「すごい」とか「偉い」とか、ほんのちょっぴりでも羨ましいと本当に思うのなら、その比較するものさしを捨てなければならないのです。
その「ものさし」を捨てなければ、私の住んでいる世界は一生見ることはできません。
みなさんも、早く気が付いてくださいね。
次に、私が、今の生活を手に入れるまでのプロセスをご紹介します。
好きなことだけをして暮らすためのプロセス
今の生き方を見つけ、そうやって暮らすようになるまでの私のプロセスをご紹介します。
まず、自分の得意なことを洗い出してみました。
目に見える特技の他に精神的なものも含め、自分の得意なことを列挙しました。
結局、考えても、考えても…わかりませんでした
そういうのは人に聞いてみると見つかるものだと本で読んだので、私は会社の同僚数名に訊いてみました。
すると、面倒見が良い、教えるのがうまい、知り合いが多いという答えが返ってきました。
自分では全くそうは思っていませんでしたが、他人が言うならそうなんだろうと、ここは人の意見を信じてみることにしました。(案外、他人の方が自分を客観視してくれます。)
言われてみれば、人に教えることと面倒見の良いところは、確かにそうかもしれないと思えてきました。得意なこととは、自分が苦労しているとは意識せずに、いつも普通にできていることです。
無理せず自然にできていることは、苦労せず続けられます。
得意なことを伸ばしてみる
- 人に教えること
- 面倒見が良い
会社の同僚に私の得意なことを尋ねると、この2つが意見として多く挙げられました。
この2つがどうやら私の得意なことらしいです。
同僚たちは、私にはできないけれど、あなたはできるという分析に基づいて答えてくれたのですから、この2つは、少なくとも同僚よりも私の方がうまくできているのだと思います。中には、私もできるけれどあなたもできるよね!なんていう分析もあるかと思いますが、いずれにしても、この2つは、私が気づかずに持っている得意なことなのです。
まずは、得意なことに磨きをかけてみようと思いました。
とにかく、目の前で困っている人を見かけたら、その問題を解決するのを手伝うことにしました。
パソコントラブルを解決する、落とし物に気が付かない人に落ちたものを拾い届ける、目の前で倒れそうになっている人を抱えたりもしました。
だからといって、生きがいを見つけることはありませんでしたが、瞬発的な「行動力」が身に付きました。
なりたい人物像を見つける
理想の人物像に近い人を探そうと思ったとき、テレビでよく見かける人の方が良いと思います。よく目にすることで、自分の目標を思い出すことができるので、時間経過とともに目標を忘れてしまったり、見失うことを防いでくれます。
私は、好きなことをやって暮らしている所ジョージさんの真似をしようと思いました。
所さんならどんな行動をするのか、どんな考え方をするのか?
DVDや本をたくさん見ました。
何か得られるのではないかと思い、とにかく所ジョージという人に近づこうと思いました。
ああやって生きていられるのだから、それは、ああやっても生きられるという証明に他なりません。ということは、マネをすれば、私もあんな風に生きれると思いました。
しばらくの期間、常に「所さんならどんな行動をするだろうか?」を自問自答して、とにかく、楽しく暮らすことを心掛けました。
好きなことを見つけようとせず、まず行動
好きなことを見つけようとせず、これをやってみたいと思ったらやるようにしました。
当たり前ですが、これをやってみたいという物事は、少なくとも私の「嫌いなこと」ではありません。そうやって、自分がやりたいと思ったことは即行動に移しました。
即行動のクセは ”目の前の人の困ったを解決する” ためにいろいろ動いていたことで、身に付いたのだと思います。人の困りごとというのは、時間が経てば解決してしまいます。
すぐに駆け付けなければ、他の人が解決してしまいます。私が解決するためには、即行動だったのです。
ここから、だんだん、今の私になるための考え方が加速していきます。
懐かしい情景を作りたくなった
懐かしい情景(ジオラマ)を作りたくなったのは、そういうものが机の上に置いてあったら、心の底から元気が湧いてくると思ったからです。
幼少~小学校時代、「死」や「病気」などを意識したことがありますか?
放課後、こんなに激しく遊んでいたら、肩を痛めてしまうとか、汗を拭かなかったら風邪をひいてしまう…とか、そんな風にネガティブなことをいちいち考えて遊んではいなかったはずです。
ただただ、エネルギッシュに自分のしたいことをしていました。
当時の記憶がよみがえるものが机の上にあれば、そんな活力や行動力を心の奥から思い出すのではないかと思いました。そんな、自分を突き動かす原動力にスイッチを入れるためのキッカケが欲しくなったのです。
それが、私の田舎に似た懐かしい情景アイテムだったのです。
特に、鬱(うつ)状態に脳みそが戻りそうになった時、その情景アイテムを見るだけで勇気や元気が湧いてきて、鬱になんかなってられない!と、子供の時のエネルギーが自分を引き上げてくれるのではないかと思うところもありました。
そんな情景アイテムを作りたいと思ったとき、どうしても模型作りのテクニックが必要になりました。
私は、生まれてこれまでプラモデルを作ったのは2回だけです。
しかも、最後まで作り終えたものは1つしかありません。
もちろん、塗装の経験もありません。
まして、懐かしい塗装・古びた塗装をする技術… ウェザリングという言葉をこの時まで知りませんでした。
師匠を探す
私自身の元気を心の奥から湧かせるための情景アイテムを作るためには「師匠」が必要です。塗装ができないのでは情景アイテムを完成させられないからです。
ネットで検索していると、たまたま一人の人を見つけました。
そして、フェイスブックをやられているのでメールを出し、質問をしているうちに、その方は、私を自宅に招いてくださいました。
たった一度の訪問ですが、とても大事なことを教わりました。
情景アイテムを作り始める
これで、私自身の元気を心の奥から湧かせるための情景アイテムを作ることができる!
そして、黙々と作り始めました。
道具をそろえ、作っているうちに楽しくなってきました。
しかし、その模型はいまだに未完成です。
なぜなら、自分の思うような塗装ができないからです。
完成のためにはいろいろと違うものを作って勉強しないといけない思うようになりました。
多少の行き詰まりもあったと思います。行き詰まりでも、妥協して完成させることは出来ると思います。けれども、それでは「完成」がゴールとなってしまいます。
私のゴールは「私自身の元気を心の奥から湧かせるための情景アイテム」を作ることです。
完成しても、元気が湧かないアイテムなら意味がないのです。
勉強と称して閉塞感に風を入れる
いろいろ作ってみることは、技術もアップするので良い事です。そんな正当な理由を掲げて違うものを作ってみました。気分転換にもなりました。
他の物を作ることが楽しくなってきました。ただ、その費用をどうするのか?
そんな時、自分の目指す情景作品に近いコンセプトの模型がオークションで売られていました。出品説明をよく読むと、それはプラモデルのキットとして売られているものを完成させたものでした。
作ったものを売ってみる
この手があったか!
買って作って、売ることができれば、材料費を工面しながら技術も上達し、ずっと未完成の情景アイテムのことを考え続ける閉塞感に風を入れることも出来ると思いました。
自分の模型を完成させることも重要でしたが、お金も少し必要、いろいろ作ればテクニックの向上にもつながる… そんないろいろな理由を無理くりくっつけて、プラモデルキットを作り始めました。
オークションで売れたときはとてもうれしく、もっと良いモノを作ろう!と思うようになりました。作って売るたびに工夫や反省点が見つかりました。結果的に、いろんな工夫や知恵を蓄積することができました。
そういうものを自分の未完成品に生かせれば、私の作品はいよいよ完成します。
今は、そのプラモデルキットをベースとした作品作りの方に夢中なので、そちらを優先しています。
私の趣味と呼んで良いものが見つかる
結局、プラモデルを完成させて売ることが、私の趣味となりました。
好きで楽しくて、ひとりでも永遠に続けられそうな気がするからです。
お金も、材料費分くらいは稼ぐことができます。
当初よりも技術が上達してきました。
”もう少し作品が高い値段で売れるようになりたい” と思うようにもなってきました。
これが、趣味と実益を兼ねるとでもいうのでしょうか?
多くの人があこがれる生活だと思います。
ただ、私は次のことに注意をしています。
”高く売れるために作品を作ろうとしない” ことです。
これでは、お金のために働くサラリーマンと一緒になってしまいます。
楽しくなくても作り続けるということになってしまいます。
私は、”より感動する作品を作ること” を心掛けています。
感動の深さであったり、感動する人の人数を多くすることを心掛けています。
「お金」ではなく「感動」を最優先にして作ることが重要なのです。
感動する人が多ければ、競り合いの人数が増えます。結局、それが、高く売れることにつながります。「お金」のことを考えなくても、そうやって作品を作れば「お金」は後から付いてくるのです。
こうして、私の生活に所ジョージさん的な流れが入り始めました。
この流れを留めず、濁さず、清流のまま流し続けることも心掛けたいと思います。
まとめ
このように「生きがい」や「自分の得意なこと」や「なりたい人物像」や「あこがれるライフスタイル」は、”生きがいを見つけたい”と探しても、”自分の得意なことは何?”と探しても… 明確な答えとして形は出てきません。
人によりいろいろなプロセスがあるにせよ、それらは複合的に見つかってくるものだと思います。そうやって、本当の目的とは違うところで経験したことや考えたことが、意外なところで結びつき、最終的には自分の理想に近づくものなのです。