私は、自分の作り出す作品が生活費になればいいと考えています。
「ノマド生活」という言葉からは、パソコンやスマホを利用して、どこにいても仕事ができるということを想像しがちです。けれども、どこにいても作品を作れ、それを売って生活ができれば、それもまた「ノマド生活」だと考えています。
芸術家ではないけれど、趣味で何かを作り出せるのなら、そして、それがお金につながるのなら、それを極めていけば… 立派な「ノマドワーカー」だと私は思います。
そんな作品作りにおいて、私自身、忘れてはいけないことを書き留めておこうと思い、記事にしました。
作品を作っても、売れなければ生活ができません。売れる作品には、そこに何が宿っているのかを書いたつもりです。
売れる作品には3つの感動がある
- 緻密さや技術的なものへの感動
- 情景の懐かしさに感動
- 情景に自分の思い出がシンクロした時に昔を懐かしむ感動
私の作品は「情景」を作ることが多いです。
巷では、そういうモデラーのことを「情景師」と呼んでいるようです。
そんな私がやってはいけないことは、たった一つです。
ネット等で仕入れた技術を表面的に使って情景を作ること
技術だけで情景を作ると起きる問題
ネットで仕入れた技術を表面的にマネをして作品を作っても、それなりに見栄えのするものは完成すると思います。
けれども、人に与える「感動の深さ」に違いが出てくると、私は思っています。
作品を作る側からすると、そういうテクニックだけに頼った作品作りは、作っていて楽しくありません。そういう「想い」のようなものは、きっと作品を通して見る人に伝わると考えています。
技術だけに頼らないマインドセット
情景とその中に暮らす人々のストーリーをしっかり思い描き制作する。
ここの店主は、こういう行動をする。そんな行動をする人が住む家の壁や床、屋根はきっとこんな風になる… そういったストーリーを情景の中に反映させ、一気通貫させる。
ストーリーがあれば作っていても楽しいし「楽しく作った想い」は作品を通して見る人に伝わるのです。このことがとても重要です。
けれども、このストーリーは公表しません。
情景の中にあるストーリーを公表してしまうと、それが先入観となってしまい、見る人の想像範囲を狭めてしまうからです。
それぞれが、それぞれの思い出とシンクロをさせて懐かしんで欲しい… それが望みです。
作品の販売金額を想像して作らない
これだけ細かくストーリーに忠実に作品を作れば、きっと作品が高く売れるだろうといった雑念は払うことです。
ストーリーの妄想、それを忠実に再現するテクニックだけを磨き続け、ストーリーを公表せずにいれば、それぞれが、それぞれの感動をするわけです。
感動した人が、作品の奪い合いになれば、自ずとお金はついてきます。
この順番が逆になってはいけないと考えています。
売るために作るのではなく、感動を与えるために作るのです。
ひとつの作品で、より多くの人を感動させるために、知恵を絞り、工夫を凝らして、ストーリーに忠実に作品を完成させることが大切なのです。
技術を磨く
ストーリーを再現するための技術を磨く。これが重要です。
せっかくのストーリーを表現できなくては、感動が半減してしまいます。思い描いたストーリーを完全再現できる技術を日々磨くことが大切です。
技術の凄さを見せびらかすために作品を作っていても楽しくありません。
そういう作品は感動もありません。
感動が無ければ売れません。
売れない作品を作っていても楽しくありません。
このような循環に入らないためには、正しい気持ちで技術を磨くことが大切です。
正しい気持ちとは”より多くの人を感動させる技術を身に付けたい!”とする気持ちです。
私は、この重要な気付きを忘れないようにしたいと思います。
こうしたことを忘れずに作品を作れた時、3つの感動を見る人に与えることができるのだろうと考えています。
<見る人に与える3つの感動>
- 緻密さや技術的なものへの感動
- 情景の懐かしさに感動
- 情景に自分の思い出がシンクロした時に昔を懐かしむ感動
この感動がそろった時、作品の価格もついてくると思います。